Antennaのかたまり

平安時代が舞台の恋愛小説を連載しています。ほか、短編や日々の雑記、読書録なども書いてます。小説サイト開設しました!古代日本が舞台の恋愛ファンタジーを連載中。(http://acluster.tumabeni.com/)

そして空を

SS・短編

 風景の記憶とは、不思議なものだと思う。
 昔住んでいた家から見た夕焼け。近所の児童公園。こっそり落書きをした学校の階段。
 たとえその場所が壊されて、別の建物があったとしても。見慣れた風景は写真を繰るように、鮮やかに詳細によみがえる。
 絵心があれば、その記憶を描きとめておくだろうか。たぶん、そんなことはしない。水彩画、デッサン、色鉛筆、油彩、……きっと、風景の記憶に敵うものはないから。
 白昼夢、と笑われてもいい。今だけは、無骨な鉄筋コンクリートのアパートを思い出しておきたかった。


そして空を


 新しい建物は、どこか心が躍る感覚がする。それは「これからここでどんなことが起こるんだろう」という期待に似ているだろうか。真新しいピカピカのガラス窓に、汚れのない壁や天井が明るさを添える。建材や塗料の匂いがうっすらと残っているといい。綺麗な緑を放つ新品の畳も素敵だ。イグサの香りに包まれて眠るのは、草原や森の中で眠るような心地で、きっと気持ちが良いだろう。
 古い建物は、丁寧に手入れされているほど存在感を増す。真っ黒になった大黒柱や梁、よく磨き上げられて飴色になった卓袱台。風雨に洗われ、こまめに掃き掃除をされた三和土は、表面の凹凸が磨り減ってさざなみのようになり、どれだけの人がここを訪れたのだろう……という、連綿とした生活の記憶を想起させる。
 私には特別センスがあるわけでもないから、有名なデザイナーの作に何かを感じ取るのは難しい。でも、新しい建物も、古い日本家屋も、どちらも好きだった。リフォームの末に、はっとするほど印象が変わる様を眺めるのが好きだった。
 その一方で、「建物を壊す」とはなんと無粋なことだろう。

 はらはらと埃が落ちてくる。ガリガリガリ、と鉄筋を削る音がした。見慣れたはずの建物は、東側の壁一枚を残して、跡形もなく壊されていた。


 三階、南から二つ目の部屋。かつての住人はもうこの国にはいない。近くに存在がないことに、ようやく慣れた。彼を想起させるものをじっと見つめることも、やっと少なくなってきたと思っていた。お揃いだったものや、貰ったもの、一緒に写った写真を、まだ捨てるには至らない。でも、箱に入れて仕舞うことはそろそろ出来そうだ……と思っていたところだった。
 「……あ!」
 その部屋の辺りが大きく削り崩されて、思わず小さな声を上げてしまった。声というより、悲鳴に近かったかもしれない。
 まだ大切に取っておきたかった、思い出の場所。無残にもそれを壊されて、まるで思い出を壊されたような気持ちになってしまったから。
 私の小さな悲鳴が作業員の耳に届くはずもなく。私の気持ちなどお構いなしに作業は続けられていく。てきぱきと動く作業員を、ただぼんやりと突っ立って見ているだけの私。

 二日後には、そこは更地になっていた。



 「また、あした」
 部屋を出て帰るとき。ベランダからよく見送ってくれた。それを見上げた私がいた。
 傘越しに見た梅雨空。ぼんやりと春霞のかかる桜色の空。オリオンの横たわる夜空。ベランダと一緒に、たくさんの空を眺めた。
 今見ているような、抜けるような青空も、きっと眺めたことだろう。空はあくまで空だけれど、それを縁取る景色が――見送る彼の姿が、ない。無骨なアパートごと存在を消して、あたかも此処には始めから何も無かったようになっている。だから、思い出の何もかもが全くの嘘か、あるいは夢だったような気分さえしてしまう。それが酷く哀しいと、思う。

 一緒に過ごした時間も、そのとき得られた幸福感も。濃密であったはずの記憶。笑顔と躊躇いと涙と、たくさんを詰め込んだはずの思い出。
 その拠り所である「建物」は、土足で踏み入られ無残に壊されて、跡形もなく喪われてしまった。思い出す拠り所が無くなるだけで全て夢まぼろしに変わるなんて、ナンセンスだ…と自分でも思う。
 けれど拠り所がなくなることで、懐かしく思い返すことを禁じられたような気がしてしまう。それが苦しいのだ。


 たぶん私は、ゆっくりと優しいだけの思い出に変えていきたかったのだ。
 心の強さは距離と比例しないが、時間の経過を待てば薄れ行くこともある。傷がかさぶたになって、少しずつ剥がれて癒えていくように。新しい0才の皮膚になって、再生を遂げていくように。
 そうやって長い時間をかけて、悲しみだけを削ぎ落とせたら。いつか知らない町に遊びに押しかけて、普通に笑うことができる気がしていたのだ。


 壊れた関係と、壊された建物。何の相互関係もないところに類似性を無理矢理見出して、思い出すだけで悲しくなるなんて、どうかしていると思う。
 それでも、思い出がありすぎて、何かにつけ思い出されて悲しくなって。
 どうしてもその事実を認めてしまいたくなくて、消えてしまったことに未練がありすぎて。

 そして空を、また見上げてしまうのだ。



「朝のリレー」の続きとなるモノローグです。暗すぎな一品。
高3のとき、3年近くを過ごした校舎が改築のため取り壊されるという出来事がありました。本当に味気ないと思ったこと、新しい校舎が母校とは思えず居心地の悪さを覚えたことを思い出します。
建物への愛着って、不思議。


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プロフィール

紫藤ゆとり

Author:紫藤ゆとり
モノカキのはしくれとなって、はや?年。
まだまだ精進あるのみ。。。
ブランクはありつつも、なぜか書くことをやめられない。
そんな、なぜか理系の女子です。
(4月から大学院生やってます)

好きな作家は 恩田陸、加納朋子、伊坂幸太郎、本多孝好、などなど多数。

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